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名古屋高等裁判所 昭和58年(ネ)662号 判決

控訴人

乙山巡

右訴訟代理人

鶴見恒夫

樋口明

控訴人

甲川弓江

右訴訟代理人

髙木修

森茂雄

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人に対し、金七八万円及びこれに対する昭和五五年一一月一六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを四分し、その三を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

本判決は、被控訴人勝訴の部分に限り、被控訴人において金二〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

控訴人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次につけ加えるほか、原判決事実摘示及び当審訴訟記録中証拠に関する目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

(被控訴人の主張)

控訴人は、昭和五三年六月ごろ被控訴人の住居にスーツ、下着類など身の回り品を持ち込んで、約一か月間被控訴人と同棲し、同人の許から毎日警察署に出勤していた。かような態度、そして「結婚しよう」という言辞から、被控訴人は控訴人が本気で結婚を考えているものと理解し、同年七月ごろこれに同意して、ここに将来の結婚の約束、すなわち婚姻予約の成立をみたのであり、仮に、婚姻予約の成立が認め難いとしても、当時の控訴人と被控訴人との関係は内縁というべきものである。さらにまた、控訴人は既に妻帯の身であり、被控訴人がそのことを知つていても、両名の間柄はいわゆる重婚的婚姻予約ないし重婚的内縁、もしくはこれに類する関係にほかならない。したがつて、いずれにせよ上記のような関係を一方的に否定し、破棄した控訴人は、被控訴人に対し債務不履行または不法行為に基づく損害賠償責任を負うべきである。

(控訴人の主張)

一 控訴人と被控訴人との間には同棲なるものは存在せず、交際を重ねながら時々肉体関係もあつたというのが実情である。すなわち、昭和五三年三月初旬から同年六月までの間、そして一時中断ののち、翌五四年二月までの間に、夕方か朝に一〇分から一五分くらい、時に一時間半くらい立ち寄るのが殆んどであり、被控訴人方に泊るのは家庭に弁解できる限度の僅かなことであつたからである。このような関係は、控訴人が九州出身者として被控訴人との同郷意識から、被控訴人の誘惑に弱く、求められるままに呼び出されたり、被控訴人方に泊つたり、金の無心に応じたりしたためである。そして、控訴人は被控訴人から「奥さんに言うよ」「勤務先に言つてやるから」などと脅かされ、僅か一年足らずの交際であつたにもかかわらず、通計三〇〇万円以上もの出捐を強いられたのである。

二 以上のような事実関係、さらに、妻ハナ子との間に長男(昭和四九年三月九日生)及び二男(同五〇年四月七日生)を擁する控訴人の家族状況、高校時代から既婚者と付き合うなど多くの男性遍歴を経てきた被控訴人の重畳的な異性関係の存在等からみて、控訴人と被控訴人との間には一時的な私通関係があつたにすぎず、被控訴人主張のような婚姻予約あるいは内縁、もしくはこれに類する関係はありえなかつたのである。

理由

一1  〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  被控訴人は、昭和三二年六月六日鹿児島県に生まれ、同四五年三月家族とともに豊橋市に転居して、同所で中学校、高等学校を卒えたのち、暫く豊川市内のマーケットなどで働いていたが、同五一年一二月下旬単身名古屋市に移つて、スナックに勤めるようになつた。

(二)  控訴人は、昭和二一年三月一七日福岡県に生まれて同四四年に警察官を拝命し、同四八年五月二一日一宮市において乙山春男、タミ子夫婦と養子縁組をすると同時に同人らの二女ハナ子(同二四年一〇月二五日生)と婚姻して、同女との間に長男(同四九年三月九日生)及び二男(同五〇年四月七日生)を儲けた(控訴人が一宮市において婚姻し、二子を儲けたことは当事者間に争いがない。)。

(三)  被控訴人は、昭和五二年七月下旬ころから名古屋市千種区内の○コーポラスに居住していたところ、同五三年二月下旬ころ右コーポラスの居室において強姦及び窃盗の被害に遭つたため、そのころ千種警察署に出頭して同事件の担当警察官である控訴人から事情聴取を受けた。そして、二度目の事情聴取における雑談の折、被控訴人と控訴人との間には後日街で会うことが約束され、その結果、数日後の土曜日の午後、被控訴人はその住居の近くまで迎えに来た控訴人の車でドライブに出掛け、控訴人の乗り入れた一宮市内のホテルで肉体関係を持つに至つた(被控訴人が上記のころ○コーポラスに居住して犯罪に遭い、控訴人から事情聴取を受けたこと及びその後両名が肉体関係を持つたことは当事者間に争いがない。)。

(四)  爾来、控訴人はしばしば被控訴人方を訪れるようになり、夕方被控訴人を勤務先のスナックまで送つて行つたり、深夜勤めを終えた同人を住居まで送り届けたり時には右住居に泊つたりするようになつたが、昭和五三年三月ごろには、控訴人は妻子には全寮制の研修があるという口実を設けて、被控訴人の許に三週間余り居続けて、夫婦にも等しい同居生活を送り、そこから警察署に出勤した。のみならず、控訴人は被控訴人に対し、折にふれて自己の養親が冷淡、吝嗇であるとか、妻が世間知らずであるとかの愚痴をこぼし、将来被控訴人と一緒になりたい旨の言辞を弄して、同人と結婚する意思があるかのような態度を示したので、被控訴人も、そのころ控訴人が既婚者であることを確知するとともに、次第に控訴人がいずれ離縁、離婚して自分と結婚してくれるであろうことを期待するようになつた。そしてまた、昭和五三年四月ごろには、控訴人は被控訴人の三兄参治が豊川市内に寿司店を開くにあたつて、そのための資金七〇万円を貸与してくれたこともあつて、ますます控訴人に対する信頼を厚くし、同年六月中旬には夜間勤務のスナックをやめて、喫茶店にアルバイトとして働くようになつた。その後、昭和五三年六月下旬ころ、被控訴人は名古屋市西区内のアパート「×××荘」に転居したがこのアパートも控訴人が見付けてきたものであり、その権利金、敷金の一部は控訴人において負担し、控訴人のすすめもあつて右「×××荘」に移つてから程なく被控訴人の母親が、次いで昭和五三年一一月には父親が、ここに同居するようになつた(上記のころ被控訴人が転居し、その後両親が同居したことは当事者間に争いがない。)。

「×××荘」に移つてから後も、控訴人は自らも部屋の鍵を所持して、毎日のように出勤途次の早朝及び勤務を終えたのちの夕方に「×××荘」に立ち寄り、時に土曜日などには宿泊をし、とりわけ昭和五四年一月初めには数日間も泊り続けて、その間の日常身辺の一切を被控訴人あるいはその母親の手に委ねるなど、被控訴人との親密な関係を続けていた。さらに、控訴人は同郷の誼もあつて、折々被控訴人の両親と語り合い、また、同人らから酒食の提供を受けながら、同人らに対しても、自己の養親及び妻の非をならす一方、将来被控訴人と一緒になつて店を持たせてやりたい、両親のために庭付きの家を手に入れたいなどと告げ、そして、昭和五三年九月ごろから再びスナックに勤めはじめた被控訴人が、より広い住居を求めて同五四年一月中に名古屋市千種区内の△△ハイツに移転した際にも、控訴人は右移居に要した費用の一部を負担した。かくして、控訴人と被控訴人とのただならぬ仲は、少なくとも昭和五四年三月初めごろまで継続した。

(五)  昭和五四年五月ごろ、被控訴人は妊娠していることに気付き、これを控訴人に告げたところ、控訴人も出産には特に反対することもなく、生まれてくる子供の面倒はみる旨を述べたので、被控訴人は同年六月末にはスナック「○○○」をやめて食堂のアルバイトとして働き、同年一二月二九日男児を出産し、控訴人に諮つて「太郎」と命名した(上記の日に被控訴人が男児を出産したことは当事者間に争いがない。)。

ところが、控訴人は右昭和五四年五月ごろから、被控訴人及びその両親らに控訴人と被控訴人との関係及び懐妊の事実は養親あるいは控訴人の勤務先に秘匿するよう求めるとともに、部長の試験があるなどと口実を構えて次第に被控訴人から遠去かるようになり、このような控訴人の態度をみて、昭和五五年初めごろ、被控訴人の両親、長兄永吉(東京警視庁勤務の警察官)らは控訴人に対して、子供を取るか、被控訴人と結婚するか、と難詰したところ、控訴人は太郎を引取つたが、しかし、直ぐ同人を九州の実家に預けたので、これを不憫に思つた被控訴人が自分の手許に置くことを望んだため、太郎はその後間もなく被控訴人に引取られた。また、控訴人は当初太郎を直ぐにでも認知するかのような口吻を洩らしていながら、これを実行しないため、ついに昭和五五年中に、被控訴人が太郎の法定代理人として控訴人を相手どつて名古屋地裁に認知を求める訴を提起し、鑑定等を経て、同五六年一〇月二三日ようやく控訴人は太郎を自己の子として認知する旨の届出をした。これらの間に、控訴人は昭和五五年七月二三日養父母と協議離縁をし、また、同年九月二〇日ころには警察官を辞するに至つている。

以上の事実が認められ〈る。〉

2  ところで、本件においては、控訴人が被控訴人と情交関係を持つた当時、控訴人とその妻ハナ子との間が事実上離婚状態にあつたと認むべき資料はなく、したがつて、控訴人と被控訴人との関係は善良の風俗に反するものとして、その存続を法的保護の対象とはなしえない筋合いであるから、右両名の離別を、婚姻予約の不履行ないし内縁関係の不当破棄そのものとして構成することは許されないというべきである。しかしながら、女性が男性に妻のあることを知りながら情交関係を結んだとしても、情交の動機が主として男性の詐言を信じたことに原因している場合で、男性側の情交関係を結んだ動機、詐言の内容程度及びその内容についての女性の認識等諸般の事情を斟酌し、女性側における動機に内在する不法の程度に比し、男性側における違法性が著しく大きいものと評価できるときには、貞操等の侵害を理由とする女性の男性に対する慰藉料請求は、許されるものと解すべきである(最高裁昭和四四年九月二六日第二小法廷判決・民集二三巻九号一七二七頁参照)。

本件についてこれをみるに、被控訴人が控訴人に妻のあることを知りながら情交関係を結んだのは、控訴人が警察官という世人一般の信頼厚い職業に就きながら、担当事件の被害者である被控訴人と警察署における事情聴取の機会に早くも逢瀬を約束し、したがつて、事件は未だ解決をみておらず、延いて、被害者の立場にある者としては取調官に対しておのずから心理的弱みを抱くのを常とする段階において、これら状況を顧慮することなく、むしろこれに乗じて被控訴人と情を通じ、引き続きこれに近接した時期に、三週間ほども被控訴人宅に同居して出勤を重ねるなど、警察官として極めて厚顔にして節度のない行動を敢てとつたことが端緒であり、かような行動に随時の詐言が付加されることにより、成人して間もない若年の被控訴人において、控訴人はいずれ現在の妻と別れ、自分と結婚してくれるであろうとの期待を持つたとしても決して無理からぬ状態を作出したことに因るというほかはない。さすれば、前叙判例に示す諸般の事情を斟酌するとき、本件における情交関係を誘起した責任は主として控訴人にあり、被控訴人の側における動機に内在する不法の程度に比し、控訴人側における違法性が著しく大きいものと評価することができる場合にあたるというべく、したがつて、被控訴人の控訴人に対する不法行為に基づく慰藉料請求は、貞操等の侵害を理由として許されるところといわねばならない。

3  控訴人は、被控訴人には当時重畳的に異性関係があり、控訴人との間柄も一時の私通関係にすぎないと主張し、しかして、〈証拠〉に徴すると、被控訴人が少なくとも昭和五四年一月ごろ勤務先のバーテン某と肉体関係を持つたことが認められる。しかしながら、被控訴人の右時点における異性関係を配慮に入れても、その一〇か月ほど以前から始まつている控訴人と被控訴人との一連の交渉が、単なる私通関係にとどまるものでないことは前認定の事実に照らして明らかであつて、右異性関係の存在は単に被控訴人の求める慰藉料額の算定につき斟酌されるべき一事情にすぎないというべきである。

4  控訴人は、被控訴人のために既に通計三〇〇万円以上を出捐している旨主張し、そして、〈証拠〉によると、控訴人は昭和五三年三月から同五四年一一月までの間に合計二八七万五〇〇〇円ほどを支出していることが認められる。しかしながら、〈証拠〉を併せ考えると、右金額のうち、被控訴人のために支出したとみるべきものは合計一六〇万円程度と認めざるをえない。すなわち、前認定のように昭和五三年四月ごろ被控訴人の兄参治のために融通した金七〇万円を、その後同人から返済を受けて被控訴人のための中古車購入に充てたこと、同年六月下旬「×××荘」に引越した際の費用四〇万円及び昭和五四年一月「△△ハイツ」に移転した時に要した費用約五〇万円、計約一六〇万円であり、他に、控訴人も当然負担すべき太郎の出産費用としての金一〇万円の支出が認められるけれども、その余については、これが控訴人主張のような趣旨の出費であることを認むべき的確な資料はない。むしろ、残余の金額のうちには、控訴人が原審及び当審において被控訴人との関係を断つた旨供述している昭和五四年三月ごろ以降に出捐した分までも含んでおり、この点不合理さを免れない。しかして、上記約一六〇万円についても、その内容及び前認定のような被控訴人の許における控訴人の生活態様を考慮すれば、もとより控訴人の責任をすべて償うに値する金額とは認め難い。

5  以上の諸事実その他本件に顕われた諸般の事情を総合勘案すれば、本件不法行為によつて被控訴人が受けた精神的苦痛に対する慰藉料は、金七〇万円が相当である。

二被控訴人が本件代理人に本訴の追行を委任し、かつ、報酬の支払を約したことは弁論の全趣旨により明らかであるところ、事案の難易、審理経過、認容額等に鑑みれば、本件不法行為に相当因果関係を有するものとして控訴人に請求しうる弁護士費用の額は、金八万円とするのが相当である。

三そうすると、被控訴人の本訴請求は、控訴人に対して金七八万円及びこれに対する本件不法行為後である昭和五五年一一月一六日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却すべきである。

よつて、右と一部趣旨を異にする原判決はこれを変更し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(中田四郎 名越昭彦 木原幹郎)

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